紫微斗数 占い静岡 宮立命 の日記
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災難を避けられない人
2017.07.24
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災難を避けられない人
的中率では抜群に抜きんでているのは欽天四化紫微斗数と新・飛星派の紫微斗数と思います。
「えっ! 新・飛星派って何? 紫微斗数に新旧が有るの?」
はい、有ると言ってもよいでしょう。
私は何年も前に3~4年かけて紫微斗数を学びました。しかし、いざプロに成って悩みました。命盤の解釈はまあまあ出来ても、今年は何に注意したらよいの? とか、人生で最高に仕事運や財運が廻る時はいつ? という問にはハッキリ言ってあやふやでした。もちろん星しか観ない三合派では、そういったことは判りません。仮に大吉なんていう判断が出来ても、そんなことは無かったりでした。
飛星という技術も有りましたが、それは宮の状態の善し悪しを判断する程度でした。そんな飛星法でも三合派より格段に優れていました。
三合派で「財帛宮は大吉ですねえ」なんて言われても飛星してみれば大凶だったりして、これはよくある話です。
問題なのは巡ってくる10年運(太限)や1年毎や月ごとの様々な吉凶が判らないことでした。
しかし、それは今では解決されています。飛星をして鑑定することには変わりは無いのですが、何処の宮から飛星して、何処の宮に四化星が入ったら、この太限は吉なのか、あるいは今年は凶なのか、果ては西暦何年の健康が悪いのかが判断できる飛星法です。
この飛星法にハッキリした名称が無いので「新・飛星派」とでも勝手に名付けています。
この方法を伝授戴いたのは、2013年芦屋の田中宏明先生からでした。この方法は日本には有りませんでした。2017年の今でも昔から紫微斗数を生業にしている方々は知らない方が多いのではと思っています。この方法に欽天四化の鑑定法を付け加えたら鬼に金棒と思います。
それでは、ここから本題に入ります。
こんなに的中させてアドバイスを得ても、行動に移せない、あるいは移さない。
来るべき時に開運、あるいは災難を避けることが出来ない。そんな人たちも居るということです。
それはどんな人達でしょう。
例えば病気の場合では、今が何も自覚症状が無いから行かない、占いなんて出鱈目と思っている。
あるいは、信じてもよいけど医者が怖いから、注射が怖いから。なんて、鬼も怖がる大男の男性もいらっしゃいます。
そして、頑として絶対に医者には行かない、といって運命の年月が訪れて発症。
具合が悪くて仕方ないので渋々と病院に行ったら「末期がんでステージⅣ」、もう残念でした・・・。
でも、こういう人に限って死ぬと成ったらパニックで泣き叫ぶ訳です。頑として医者にも行かなかったのだから勇ましく死を受け入れればよいのに泣き叫んでしまうのは残念です。
病気以外にも、惚れてしまえば悪魔であっても言いなりになってしまう女の性も有りますね。
アドバイスなんて「馬耳東風」。いや違うかな…、判っちゃいるけど辞められない。悪いこと、止めなきゃいけないと思うけれど、ついつい情事を重ねてしまう。最後には、どんでもないことに成ってしまった。なんていう事もあります。
更に言えば、こんな例も、一生涯掛けて食べる量の食べ物をせっせと食べ尽しメタボを含む肥満や成人病になってしまう人たち。そして短命と成り。
短命ならまだマシで、半身不随、寝たきりで、まだまだ残っている永い永い寿命を消化して行かなければならない、辛い長い余生。
私は老人介護の仕事も何年も就労させて戴いて多くの学びを頂きました。
まだ、60代、70歳代なのに暴飲暴食、不摂生が祟り寝たきり、半身不随に成られてしまった方々を多く見てきました。自由が効かない、骨まで観える寝だこ(褥瘡)で激しい痛みとの戦い、余命長いのに食べたいものは一切食べられない、ただただ生命をつなぐだけの食事。こんなで、後何十年生きなければ成らないのでしょう。
私は占いを知らなくても、こんな人生は送りたくないので、必要以上のことは欲しがりません。
今は先の事が分かる技を知り得たので、自然の摂理に則り生きて行こうと思っています。
自然に逆らわずという事と思います。とかく欲が突っ張ると自然に逆らうようなことに成ります。要注意ですね。